物つくりは匠の技、「信頼できる人に教わりたい」と強く思っていた。栽培技術は無論のこと、
「人格的にもこれからの人生に渡って付き合っていきたい人を何としても自分で探そう」と決めていた。
これはサラリーマン時代のトラウマ? なのかも。上司・部下の関係は与えられたもので自分では選べない。
これが不幸の始まり。学生時分の友人は全て好き嫌いで選んでいたのに、サラリーマンになると突然これまでの
学校生活では絶対に知り合いにならないタイプの人たちとも仕事をしなくてはならない。
社会人になって誰でも感じる最初の違和感である。
師匠探しの旅で、関東のイチゴ農家に27軒訪問させていただいた。
これまでのサラリーマン人生で付き合ってきた人達とは一味も二味も違う。プロ意識を持ち、厳しくて熱い。
その上優しい方ばかりだった。機会をみて訪問日記を整理して紹介させていただきたい。
大竹師匠には、私が一方的に弟子入りをお願いした。
最初の印象は、とにかくイチゴを語るときの目が活き活きと楽しそうなこと。
「いいよ。イチゴは。」
「最近、ようやく2ヶ月先の姿が何となく見えるかな。」
熟練のプロの言葉は重い。サラリーマンを20年やれば、本物の人物の見分けくらいはできるようになる。
会って4回目で自分のサラリーマンの経歴書(全く農業に関係ないので見せても意味ないが)を用意して、
「本気です。あの美味しいイチゴのつくり方を教えて下さい、手弁当で来ますからっ!」
(当時は新宿の四谷三丁目に住んでいた)
と、頭を下げた。研修生やパートも今まで受け入れたことはない人なので、戸惑いがあったのは間違いないが、
いやとは言わない優しい人なのである。熱意と覚悟は通じたかと。トモ子さん(師匠の奥さん)が、
「責任重大だね、師匠!」
と、笑ってくれたのが決め手になり、勝手に通わせてもらうことになったのである。
手弁当の約束もどこへやら、すっかりトモ子さんにごちそうになる毎日だった。
その上、料理を教わるだけでなく、調理器具までプレゼントしていただいた。
(ちなみに、師匠からは「来てもいいよ」とはいまだに言ってもらっていない)
私は立川談志がかつては好きではなかった。そもそも落語を聞くようになったのもその弟子たち
(志の輔、志らく)からだ。この弟子たちが談志のことをあまりにも崇拝し愛しているので、
談志の落語に戻ってみたら「(やっぱり)すごかった」。
名人芸「芝浜」だけでなく、声が出なくなってからも最後まで高座に立とうとした美意識。
私のモノづくりはまだ二つ目にもならないレベルだが、将来は志らくのようになりたいと思う。
それが大竹師匠への恩返しになると思っている。
日本農業新聞の取材を受けたときの一場面。
(2011年8月31日付掲載)
真夏の育苗ハウスで、
師匠から匠の技を伝授してもらっている場面。