イチゴの品種は、国内登録166種類もあるそうだ。
イチゴの原型は、18世紀に北米産(バージニアイチゴ)と南米産(チリイチゴ)との交配によるもの。
あくまでも観賞用、さぞかし酸っぱかったことであろう。
日本への伝来は1840年ごろの徳川末期と言われるが、
「あてなるもの、稚児のいちご食いたる」(上品なもの、稚児がイチゴ食べる姿)
と「枕草子」にあることから、平安の頃にも野イチゴくらいは食べていたようである。
平安の昔から、子供はイチゴ好きだったということだ。
国内産の第一号は1904年デビュー。その名は「福羽(ふくば)イチゴ」。
当時研究所だった新宿御苑で福羽博士が開発したもの。
「御苑イチゴ」とも呼ばれ、皇室用に限られたものだったそうだ。
その後、多くの品種改良を経て、80年代には「東の女峰、西のとよのか」時代が来る。
東の栃木と西の福岡の戦いはここから勃発することになるのだが、その恩恵で一般家庭に普及したとも言える。
最近のスーパーでよく見かける品種はそれこそ栃木県の「とちおとめ」と福岡県の「あまおう」である。
ちなみに「あまおう」の所以は、
「あかくて、まるくて、おおきくて、うまい」
というもの。「あまい」と言っているわけではないところが何とも奥ゆかしい。
この両県は前述の通り、生産高・品種改良にしのぎを削り、古くからイチゴ業界を牽引してきたわけだが、
こういった地域の特徴は、農協(今はJA)が主導的役割を果たしていること。
農協経由の市場出荷を通じて農家の売上げは、一定水準まで確保されるので農家自らの営業活動は要らない。
その点では優れたシステムである。
とあるイチゴの新規就農を支援している他県へ研修制度の現地視察に参加した時のこと。
市場出荷ではなく、いちご狩りをする観光農園の経営について質問をすると、
「農協の組織(傘下)でやる分にはいいですよ」との答えだった。
「いえ、自分の自由な営業スタイルでやりたいのですけど」
と食い下がった途端にその視線は突如、危険人物を見る目に変わったのには驚いたものだ。
後日、当地で新規就農した若い方に、同じ質問をしたところ、
「将来は(観光農園も)やってみたいけど。今は、村八分にならないような人脈つくりをしておかないと」
出る杭は、市場出荷からも締め出されるのだ。
こうして、ポレポレ農園は千葉県での開園を選んだ。
千葉県の農協が営業面で頼りにならないわけではない。
農協法の精神の通り、「生産者」のための組織である。
だから、農家の自由なのだ。この地では、農家は自立しているのだから。
そして、それが消費者のためにもなるのであるから。
ワイン通の人から言わせると、「コク」のある味とは苦味が決め手という。
これは科学的にも実証済みだそうだから、人の味覚は奥深い。
しかし、苦み成分を作物に加味する手法はまだ未開の分野だ。
イチゴの品種は多様で味も特徴がある。苦いのがいいのか、やはり甘いのがいいのか。
大竹師匠の品種選びの教えは
「自分がおいしいだけではだめ、お客様が気に入るものをつくる」
新品種への挑戦も貪欲で、これまでのものに拘らない。新しいものは必ず自分で試し評価をする。
現状に留まらない探究心こそが、プロ魂である。
(子供の舌が一番信用できる、スーパーのイチゴを食べなくなるから by 農園主)